昆虫食コラム

「昆虫食活動」から教えてもらったこと

昆虫食との出会いはイナゴの佃煮であるというお話をしたことがあります。

今日は、昆虫の味の話はしません。笑

昆虫を食べることについての一般的な反応は、『流行ってるらしいね』『環境に良いらしいね』止まりです。

実際に、『気持ち悪い』と言われるじゃないですか。

この『気持ち悪い』ってなんなんでしょう?

日本人が食べるものの中で外国人が驚くものの1つに、『タコ』があります。

デビルフィッシュっていうらしいですし。

昆虫にしても、タコにしても、イカにしても、よく見たら決して一般的に言うところの『気持ちの良い』ものではないんじゃないでしょうか。

にも関わらず、日本人はタコもイカも大好き。

あと、お寿司のネタの『シャコ』です。
あれって、エビやカニよりさらに『気持ち悪い』ことないですか?

米とサーカスというジビエ・昆虫食のレストランでは、『オオグソクムシ』が食べられるんですが、おなじようなものです。

以上の文脈の中の『気持ち悪い』は、主観的なものですが、現代の日本において多数の人が共感できる感覚だと思います。

以上、簡単に言うと。

・「エビ」や「カニ」は食べるのに、近い仲間のバッタは食べられない。

・「マグロ」は美味しく食べるのに、「鯉」や「鮒」だと抵抗感がある。

・「イカ」や「タコ」は見た目も触った感じも決して気持ちの良いものではないのにみんな大好き。

・「鳥の唐揚げ」は大好きでも「カラス」がメニューに出るとうろたえる。

全て『先入観』や『固定観念』の問題かと思っています。

『昆虫なんて食べ物ではない』といつのまにか植え付けられているのです。

さて、ここからが本題。

昆虫を食べるようになって、気づいたことがあります。

虫を食べること以外にも、自分は先入観や固定観念に囚われているのではないかと。

例えば、『セミは幼虫が美味しいよね』と言ってる人が、もし、『ナマズなんて気持ち悪くて食べられないよ』と言っていたとしたら、すごく違和感を覚えますよね。笑

一歩立ち止まり、自らを客観視してみることが大切だと考えています。

ここまでは食べ物の話しですが、もっと範囲を広げて考えてみます。

昆虫食に限らず、思い込みや固定観念で見てしまうものに、例えばLGBTQと言うものがあります。

僕の友人には、BだったりGだったりする子もいますが、僕はなんとも思っていませんし、親しくしています。

僕にとってはそれは、チョコレートが好き、いやいや私はシュークリームが好き、くらいなものに過ぎません。

僕が虫を食べることが個性であるように、それは彼らの個性であり、価値なのです。

しかし、まだまだ『LGBTQ』への理解というものが社会問題と言われるくらいです。

昆虫食なんて、まだまだ世の中から認められないものを普及しようと言う僕が『男性同士で愛し合うのはおかしい』というようなことを言ったとしたら、それって、どうなんでしょうか。

だから僕は昆虫食を推進する以上、それ以外の多様な価値観にも寛容でないと説得力がないと思っています。

そうですね、まるまると太った人に筋トレを指導されるようなもの」です。笑

(実際、筋肉ついたら教えてくれる人は誰でもいいんですけど、「説得力」がないじゃないですか。笑)

個人の思想や価値、考え方は時に自分に理解することが難しいことがあるかもしれません。

無理にわかろうとする必要もないし、どれだけ歩み寄ろうとしても無理なこともあるかもしれません。

けれど、それは、個人にとっての価値観の問題であり、考え方や趣味嗜好は多種多様です。

もちろん、好き嫌いはあっていいと思いますし、人を傷つけたり、法令に反するようなことはいけません。

ただ、自分が納得するしないはさておき、ありのままを認めて受け入れることこそ、真の多文化共生であり、最近の言葉で言うところのダイバーシティなのかな、と思うようになりました。

昆虫食の普及や啓発を通じて、まさに固定観念について改めて考えさせられます。

僕は昆虫食の活動を通じて、虫は魅力的な食材の一つで、実際食べてみると美味しいんだ、とか、SDGsと昆虫食のこととか、そんな話はもちろんします。

しかし、もっと普遍的な、、、自分と違うものを攻撃しようとしたりする風潮や、既存の価値観への投げかけだったり、そういうことに一石を投じるような世の中を作っていけたらな、と思っています。

昆虫食は、ある意味、そうした『優しい世界』を作るための手段なのかなと思っています。

今回は少し、しんみりしてしまいましたが、『昆虫食が教えてくれたこと』でした。

ぜひ、皆さんのご意見をお聞かせください!!