昆虫食コラム

【昆虫食】11月26日のイベントの発表を再構成して齋藤幸平「人新生の資本論」の考え方と共に紹介します!!

11月26日のイベントに遡ります。。。

V-Tuberの皆様、昆虫食の会社の社長、大企業の社員の人々、湘南の大きなレストランのシェフに、昆虫食カフェを開こうと思っている方・・・今回、参加者の顔ぶれが相当にハイレベルな予感・・・満足させることができるだろうか・・・

「昆TUBEちゃんねる」は、僕が単独で行っている「コオロギコーヒー」の事業以外については、奈良で昆虫食をテーマに活動する緩いサークルです。
メンバーはみんな、本業の傍ら手伝ってくれてます。
今回、新宿でのイベントのお手伝いをしていただくときに、せっかくなので、ハイレベルなメンバーに合わせて、ちょっと難しい内容でお話してもらっていいですか?と信頼する大人に無茶ぶりをしてしまいました。

いつもボランティアにも関わらず、発表まで頼んでしまいました・・・

引き受けていただき、作っていただいた資料を眺めてみると、「昆虫食」についての内容がほとんどない・・・

昆虫食をテーマにしない・・・なぜです!?と聞くと、「昆虫食」の経験値では内山さんに勝てないし、僕は君みたいに好き好んで取って食べたりしているわけではない、どちらかと言えば、この取り組みを通じて感じる可能性や出会う人と過ごす楽しい時間にこそ面白さを感じる、とのお言葉。

以前、投稿した「昆虫食の一歩先へ」については、サポートメンバーからご紹介いただいた本なので、図々しいついでに、当日の発表を記事にしたいので、まとめてくださいとお願いしました。笑

以下、大変お忙しい中、当日、発表いただいた内容を記事のためにブラッシュアップして寄稿していただきました!!!

僕には決して書くことのできないハイレベルな記事です。笑

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かずきの活動のサポートをする中で、多くの出会いがありました。
その中で、印象に残っている方のひとりが、斎藤幸平(経済思想家・大阪市立大学准教授)先生です。

私の母校の先生でもあり、縁を感じずにはいられません。
私と先生の年ごとも近いこともあり、また、お話も非常に明瞭でわかりやすいし、考え方が柔軟。

在学中、こんな先生に出会いたかったと思わせるような方でした。

その先生が、著書「人新生の資本論」を出されたということで、「昆虫食」とは直接関係ないのですが、読んでみると、「SDGs」や「資本主義」というものへの挑戦的な問題提起がされているもので、「昆虫食」がよりどころとする「FAOの報告」「代替タンパク質」などと非常に親和性の高い内容でした。
そもそも、「昆虫食」というもの自体が、「虫なんて気持ち悪い」「そんなもの食べるものじゃない」という「既存の価値観やものの考え方」への挑戦です。
私自身、「昆虫食」というものを通じて、「先入観」や「思い込み」を取り除くことの重要性を改めて客観視することができましたので、「資本主義」という「当たり前の考え方を疑う」という視点は、私としては特に抵抗もなく読めるものでした。(もちろん、社会主義を肯定するわけでも資本主義を否定するわけでもありませんが・・・)

かずきには、「昆虫食」という切り口で活動するにあたって、「昆虫食」の枠の中での考え方にとらわれることなく、広い視野で学んで欲しいと思い、「課題図書」として推薦してみました。

本書では、「SDGs」は大衆を惑わすアヘンであるという衝撃的なフレーズではじまり、「資本主義」という制度は「地球の限界」と相容れないため、「脱成長」が必要であると述べられています。

いくつか、印象に残っている問題提起を私なりの理解で簡単にまとめてみますので、続きが気になる方は是非、本を手に取ってご覧ください。

Amazonでベストセラーになっています。

ちなみに、8万部ほど売れているそうです。
いかに読みやすいとはいえ、この難しい内容の書籍を8万人もの人が手に取って読むということは、驚きです。
それだけ、齋藤先生の理論が注目されているということを感じています。

なお、先生の連載は、かずきも取り上げていただいた「昆虫食」のみならず、「ウーバーイーツ」「メンズメイク」など、トレンドのキーワードをテーマに、毎日新聞の全国紙において、「斎藤幸平の分岐点ニッポン」において、毎月大きく紙面を割いて連載されています。

さて、本論に入りましょう。

まず、なぜ、私が昆虫食のイベントで、この本で語られている資本主義をターゲットにするかというと、SDGsが掲げる環境に優しい施策の数々が取り上げられる原因は、産業革命以後にその原因があり、昆虫食が注目される背景と無縁ではないからです。

私は内山昭一先生のような経験値もないですし、かずきのように手あたり次第虫を採って食べたわけでもないですし、そして、参加される方のレベルを考えると、今さら、同じ量のタンパク質を作るためには牛とコオロギを比べると・・・といったありきたりの話をするのも憚られます。笑

人の世は、「狩猟採集」「農耕」から始まり、「封建制度」(荘園、御恩と奉公、年貢)「産業革命」(蒸気機関、石炭、石油、自動車、マニュファクチュア)といった、日本史や世界史で学んだキーワードと共に、進化してきました。

特に産業革命、ここから地球の温暖化は始まっているのです。

皆さんが子供の頃はもっと雪が降ったのではないでしょうか?
毎年、どこかで必ず豪雨が起こり、本来、滅多に出ないはずの「特別警報」が毎年のようにどこかで発生するのも、温暖化と無縁ではないでしょう。

(1)資本主義は「先進国」が「途上国」を「搾取」する仕組みである

・先進国の豊かさは、途上国の資源を吸い上げ、搾取することで成り立っている。
・途上国も少しずつ豊かになると、今度はさらなる途上国へしわ寄せがいく。
・しかし、いよいよ「搾取先」がなくなると、地球の環境への直接的な負荷が避けられない。

(私なりの理解と解説)
「タイ」や「マレーシア」もどんどん成長してもはや「途上国」ではなくなったから次は「ラオス」や「ミャンマー」がフロンティアだねというような謳い文句で、新興国への投資信託などの商品があります。
まさに、こうした「これから成長する地域や分野」を青田買いする考え方は、資本主義のたまものであり、この考え方を昆虫食に強引に適用すると、「牛」は食べられなくなりました、では次は、「昆虫」「ジビエ」「外来種」でどうですか!?と当てはめることができます。
もちろん、これまで注目してこなかった「昆虫」や「ジビエ」を活用するという発想自体は素晴らしいと思います。
ただ、この発想の根底にあるのは、資源を食い尽くすという「資本主義」の延長でしかないのではないか、と気づいたときに、生まれたときから当たり前のように「資本主義」に脳が支配されているなと気づきます。(いいのか悪いのかはさておき)
現行の枠組みの中でこの制度を続けるには、「地球外へフロンティアを求める」「イノベーションにより画期的なグリーン技術が発明される」くらいしか思いつきません。
そうでない限り、遅かれ早かれ、最後には「荒廃した大地」が広がることになります。
「風の谷のナウシカ」の世界においては、過去の文明がもはや「遺跡」となっています。
著者が語られている「人新生」は、「白亜紀」や「カンブリア紀」といった時代の地層のように、人工物が地表を覆いつくすものであると解説されていますが、まさに、そのような世界が現実になろうとしているのです。

(2)地球は有限であり、価値の無限増殖を「資本主義」とは相いれない

・地球システムには、自然本来の回復力が備わっているが、一定以上の負荷がかかると、急激かつ不可逆的な破壊的変化を引き起こします。「地球」が破壊されると元も子もないが、現在の「資本主義経済」はこれを自ら止めることができない。

(私なりの理解)

資本主義というものの正体は、私の理解では、「価値」や「消費」をどんどん生み出すことです。
いまでこそ「モノ」ではなく「コト」の消費も注目されるようになりましたが、伝統的な価値と消費の対象は「商品」です。その商品の材料となるべきは、「自然」です。
山、海、川、空・・・一見、無限に見えるこの世界ですが、「地球は限りある資源」であるというのは紛れもない事実です。
かたや、「経済」というものは、人の生活が生み出した「概念」なので、有限・無限という考え方はありません。
無尽蔵に価値を増殖させようとする概念である経済と、有限の資源である地球はどこかで齟齬が生じるので、当たり前といえば当たり前となります。
アンデス山脈の南端パタゴニアにある南極の氷河「ロス・グラシアレス」は私がいつか行ってみたい場所の1つでありますが、いずれ消滅してしまうかもしれません。年々進む氷河の融解は、まさに未来から零れ落ちる涙とも言えます。

(3)では、どうすべきか

・原始時代に戻るというわけではなく、ある程度の社会基盤やインフラは不可欠。ただし先進国や一部の富裕層は「プラネタリー・バウンダリー」を大きく超えた暮らしをしている。
・そして、あるレベルを超えると、経済成長と人々の生活の向上に明確な相関関係が見られなくなる。
・つまり、生産や分配をどのように組織し、社会的リソースを配置するかで社会の反映は大きく変わる。
・こうした現代への警鐘は、晩年のマルクスの考え方から示唆を得ることで考え直すことができる。

それが、ドーナツ経済理論であり、近年、「資本主義以外の選択肢は存在しない」という「常識」にヒビが入り始めている。この答えが「脱成長」であるというわけです。

私自身は、偏った思想や考え方をしているわけではありません。
むしろ、資本主義の恩恵を受けて、日本という世界から見ると「豊かで幸せな国」(何をもって豊か、幸せというかはそれぞれですが)で生きていますし、そのことにありがたさを感じています。
ただ、この本を読んで学ぶことで、考えさせられることがあるのは確かです。
とはいえ、世の中の人の多くは、「考えさせられる」で終わるので、「具体的なアクション」が必要です。
その具体的なアクションは決して「SDGs」のバッジを付けることではありませんし、色とりどりのエコバッグをそろえて気分によって使い分けることではないでしょう。
きっと、「昆虫食」で検索して調べてこのページに辿り着かれた方は、好奇心旺盛で行動力のある方が多いと推測します。無理のない範囲で、環境に配慮した具体的なアクションを始めることをおススメします。

さて、流行り物は、世相を移す鏡と言われています。
最近、流行のアニメは「箱の中で得られる作り物の幸福」や「あらがうことの出来ない絶望」とそれを打破しようとする主人公という構図が目立ちます。

「進撃の巨人」は壁の外へ自由を求め、「約束のネバーランド」は農園の外の世界に希望を見いだし、「鬼滅の刃」は圧倒的な力の差がある鬼に立ち向かう・・・これらのアニメに共通している特徴的な設定として、私は「あきらめた状態でもそれなりに幸福を得られている人」と主人公の対比を挙げます。
例えば、鬼滅の刃では黒幕の鬼舞辻無惨は

『私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え』

『何も 難しく考える必要はない 雨が風が山の噴火が大地の揺れが どれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない』

『死んだ人間が生き返ることはないのだ いつまでもそんなことに拘っていないで 日銭を稼いで静かに暮らせば良いだろう』

という強烈な台詞が出てきます。

しかし、結局、主人公である竈門炭治郎がその運命に抗おうとする姿に人は心を打たれています。
「あきらめ」が漂う今の世の中でも、ドラスティックな変革を望む声は若者を中心に多いのではないかと思っています。
しかし、誰かに期待するのではなく、まさに自身がアクションを起こす側に立つべきであると本書では語られているのではと私は受け取りました。

最後に、「昆虫食」について、コメントします。この世界にもいろんな価値観や考え方があることに気づきました。
そもそも、「昆虫食」というフィールド自体がまだまだニッチな分野ですが、経緯はどうであれ、「人とはだいぶ異なること」に可能性を見出した人たちが多いことは間違いないです。
この世界のプレイヤーの皆様とお話しさせていただく機会を多く持たせていただきました。
一貫して皆さんに共通していることは、「好奇心が旺盛」で「前向きな方が多い」ということです。
「答えがない分野」において、トライアル&エラーを繰り返し、道を切り拓いてきた偉大な方ばかりです。
「昆虫食」という小さな市場で、「資本主義経済」がどうのこうの、ということは大きすぎる話かもしれませんが、「昆虫食」の注目される大きな一つの要素である「代替タンパク源」については、これからの世界のことを考えると避けて通れない議論です。

奈良の大学生が始めたこの小さな活動は、まだ1年足らずではありますが、これから10年、20年先の次の世代のことを1人でも多くの方が考えるきっかけになればと願っています。

ちなみに、この発表させていただいた日は、私の誕生日でもありました。笑
ある意味、一生の思い出をいただいたのかなと思っています。

堅い話はさておき、この取り組み、「美味しく」「楽しい」ことが長続きのコツであると業界の重鎮である内山昭一さんから教わりました。
そして、お会いする個性的な人々との交流こそ、醍醐味であるとも伺っています。私も完全に同意します。

今後も、愉快なイベントの場で皆さんにお会いできることを楽しみにしています!!